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浜田省吾〜公式ジオログ〜 I am a father 

浜田省吾さんからのメッセージ

9月から4年ぶりにコンサートツアーが始まる。 このジオログはそれに向けての助走の模様を伝えようというものだ。
おれ浜田省吾自身とその仲間達が6月と7月、日々感じたことや身の回りに起きた出来事を書いてみようということだが、 果たして2ヶ月間テンションを保ったまま完走出来るか !?  うーん、どうだろう……?

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浜田省吾関連情報

2005年7月3日(日)

7月3日(日)

Don't look back ! ・・・と言いつつも、今週の出来事。

6月27日(月)

最終便で羽田から広島空港に到着。
夢番地の朝山君と松尾君が出迎えてくれた。
新川君を含め4人で流川町の和食屋さんで軽い夜食。

食事をしながら、20代の松尾くんの夢について話した。
彼の夢は「スノーボードをつくる職人」。
アメリカに渡って修行したいのだが、コネもビザも無い。
さて、どうしたものか・・・。
優秀なスタッフなので残って欲しいけど、
夢を追いかけて欲しいとも思うんだよね。

6月28日(火)

広島FMの特番の素材録りで江田島に行った。
ディレクター&DJは屋形さん。

「初恋のきた道」という中国映画があるけど、
江田島はオレにとって「初恋がきた島」だな。

まず最初に訪れたのは父が勤務していた「江田島警察署」
何故か警察署に入ると身構えてしまう。
何も罪は犯していないのに・・・なんで?

「I am a father」は犯罪撲滅の為に
連帯する父親達のテーマソングのようだ、
とお褒めの言葉を署長から頂きました・・・恐縮です。

署員の方々と記念撮影を終え、
小学生時代に住んでいた地区へ移動。

木造の家並は消え、アパートが建っていたけど、
山や海の風景は40年前と変わってないんだよね。
男の子が子ども時代を過ごすには絶好の環境だったんだな、
とあらためて感じた。

その後、昔の海軍兵学校(海上自衛隊術科学校)を案内してもらい、
夕日の中を切串港からフェリーボートで広島市に戻った。

夜は広島に住む姉夫婦と屋形さんを交え夕食を共にした。
途中で姪も加わり楽しい夜になった。

6月29日(水)

昼食に「中ちゃん」で中華そばとお好み焼きを食べた。
新川くんが注文したのは中華そばの大盛り。
汗だくになって汁も残さず全部たいらげた上に、
お好み焼きまで食べたその姿は
まるで育ち盛りの十代の少年ようだった。
たしかにメチャ旨い中華そばだけどさぁ、あきれたね。

その後、広島FMで番組を収録したり、生放送に出演したり、
その途中にタウン誌の取材を受けたりした後、
午後9時半の新幹線で大阪に移動した。

作成者 浜田

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6月30日(木)

FM大阪の番組に出演。帰り際に「ロビーに飾ってある
アヴリル・ラビーンのゴールドディスク、欲しいなぁ」と言ったら、
誰かが「アヴリル、婚約しましたねぇー」・・・ガーン!
娘の婚約を他人から聞かされた父親の心境だぜ。

FM802に移動。
ディレクター&DJの塚越君と再会。
彼はダイエット&ウエイト・トレーニングを続けていて、
2ヶ月前に会った時とは別人のような精悍さだった。

彼にFM802のロビーにも置いてある
「アヴリルのゴールドディスク、くれない?」と言ったら
「ダメですよぉ」と一笑に伏せられた・・・「本気だぜぇ!」

スタジオの前で「Def Tech」のメンバーとすれ違う。
「Fairlifeの春嵐」が大フアンなので、
サインをもらってあげたら喜ぶかな、と一瞬思ったが
恥ずかしいのでやめた。

4月中旬から続いたプロモーションの仕事が遂に終わった。
こんなに沢山ラジオ番組に出たり、取材を受けたのは
ミュージシャン・キャリアの中で初めてのことなんだよね。
色んな人に出会えて楽しかったな。

午後7時半発の新幹線に乗り東京に向かった。
東京の街明かりを見ながら、
この全ての建物にガスや水道や電気が行き渡っているなんて、
凄いというより狂気の沙汰だな・・・「そりゃ無理だぜ!」と思った。

7月1日(金)

一年の残り半分がスタートする日。
一週間したら「My First Love」がリリースされる。
中旬からはリハーサルも始まる。
この日は休日、暫く出来なかった
ワーク・アウトをやったら気分良かった。

こんな感じの一週間だった・・・Don't look back! Peace !

省吾


P.S.「最近観た劇場映画/DVD/VIDEO」

「セレンディピティ」(2001年/アメリカ)
「ラブアクチュアリー」「2003年/イギリス・アメリカ)
よく書けている脚本のロマンス・コメディっていいよね。

作成者 浜田

2005年7月2日(土)

7月2日(土)

オレ達が子どもの頃ってラジオはAM局しかなくて、
週にふたつしかないポップ・ミュージックのチャート番組だけが
唯一の音楽情報源だったんだよね。

順位と得点数を毎週ノートに書き込んでたなぁ。
ポップ・カンツォーネ・映画音楽・・・何でもありのチャートだった。
高価なレコードを買うことなど出来ない子どものオレは
ラジオを聴いて、耳で歌を覚えたんだよね。

ラジオは真空管ラジオとトランジスター・ラジオ。
ある日チューニングしていたら、
メーターの針が右側のもう数字が無いあたりにきた時、
いきなり音楽が聴こえてきたんだ。
それも聴いたことのないロックンロール・ミュージックが、ワォー!

毎日毎日いつラジオをかけても音楽をやってんだぜ!
子供のオレにとっては宝島を発見した気分だったよ。
それが「FEN」米軍極東放送だった。

ある日、スネア・ドラムの一発の音で始まった曲を聴いた時、
「まさにこれがロックだ!」と子ども心に思った。
ミュージシャン達が勝手に演奏しているような混沌としたサウンド、
音程など気にしていない、しゃがれた鼻声で歌われる歌。
それが「ボブ・ディラン」の「ライク・ア・ローリング・ストーン」だった。

2004年の去年、アメリカの音楽誌「ローリング・ストーン誌」が
「ロックンロール生誕50周年」を記念して、
「楽曲とアルバムのベスト100」を発表した。

ロックが生まれた年をいつとするのか、様々な意見があるけど、
ローリング・ストーン誌は
「E・プレスリー」が1954年に「サン・レコード」からデビューした年を
「ロックンロール生誕の年」としてるんだよね。

そして、音楽に関わる人達、
ミュージシャン/プロデューサー/ジャーナリスト/メディア関係者・・・
この人達が投票して選んだ「ベスト・ロック・ソング」は、
「Like a Rolling Stone/Bob Dylan」(1965年)だった。

省吾


P.S.「最近観た劇場映画/DVD/VIDEO」

「Don't look back」
ボブ・ディランの最初のイギリス公演の模様をドキュメントした作品。
オレは今も「LD」で持っているのだけど、
紹介したくて検索してみた結果、何も出てこないということは、
日本では手に入らないかもしれないなぁ・・・うーん。

作成者 浜田

2005年7月1日(金)

7月1日(金)

初めて動いている「ビートルズ」を見たのが、
1966年の今日じゃないか、と思うんだよね。

この時、オレは中学2年生。

元駐在所だったという古い借家に住んでいた。
台所は土間に「かまど」があって、
それでご飯を炊いていたような気がするなぁ。
もちろん風呂はマキで沸かしていた。
今でこそレトロな感じで逆に贅沢かもしれないけど、
あの頃は時代に取り残されてるって気持ちだった。
屋根はトタン屋根で雨が降ると家中ものすごい音がするんだよね。
その借家のみすぼらしさが恥ずかしくて、
友達を家に連れて来るのが嫌だった。

「ビートルズ」の来日公演は3日間行われたと思う。
場所は武道館で、その中の1公演がTV放送されることになった。
何日も前から、いや何ヶ月も前から楽しみにしていた。

その頃の我が家のTVはまだ白黒テレビで、
おまけにガタがきていて、
長時間見ていると垂直同期がおかしくなって、
今でいうスクランブルがかかったような状態になってた。
放送日の朝、昼間のメロドラマを見るのが大好きな母に、
「お母ちゃん、今日だけは絶対に夜までテレビつけたらいけんよ!」
と言って学校に向かった。
もちろん授業なんて上の空、時間の経つのが遅いこと...。

心臓が破裂するくらいドキドキしながら番組が始まるのを待ち、
遂にその時が来た!
「どうかテレビがちゃんと映りますように!」
祈りながらスイッチを入れると「イェー、大丈夫だ!」
おそらく家族と一緒に見たと思うのだけど、
その記憶は今もトンでるんだよね。
オレと白黒のブラウン管とビートルズだけが存在していた。

作成者 浜田

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長い前フリや前座やCMが終わって、4人が登場!
演奏が始まった、気絶するかも・・・。

ん・・・?しかし、以外と冷静なオレ。
ポールのマイクスタンドのセッティングが悪くて、
マイクが左右に動いてしまうのが気になる。
モニターシステムもPAも無い時代だから、
今思えば当たり前のことだが、
「レコードで聴いてた音と全然違う・・・もしかして・・・ヘタ?」
「あの伝え聞いてた熱狂は・・・どこ?」。
あっと言う間にショーは終り、
ぼう然とテレビの前に座ったままのオレ。
確かなことは、「ビートルズ」は存在し、動いていた、ということ。

後で判ることだけど、
あの頃の彼等はコンサート・ツアーにウンザリしていて、
日本公演から2ヶ月後のサンフランシスコでのショーが
ビートルズ最後の公演になるんだよね。

それから10年後の1976年の春、
「生まれたところを遠く離れて」でソロデビューすることになるオレ、
その時・・・坊主頭の13歳。

省吾


P.S.「最近観た劇場映画/DVD/VIDEO」

「ハード・デイズ・ナイト」(1963年/イギリス)
「ヘルプ」(1965年/イギリス)

もちろん2作品共にビートルズ主演映画。
Bob Dylanの「Don't look back」とThe Beatlesの「A hard day night」は
現在のMusic Video Clipのルーツといえる作品。

作成者 浜田
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