2005年6月18日(土)
6月18日(土)
「去年は千歳烏山の駅の近くの
イタリア料理屋できみお君の誕生日会やったんだよね。」
「エーッ、あれからもう一年になるの?早いよなぁ!」
「そうそう“Fairlife/永遠のともだち”が完成した頃だったねぇ。」
昨夜は水谷公生さんの58回目の誕生日を
彼の奥様である春嵐さんが作って下さった
10数種類におよぶ美味しい和食料理の数々を食べながら祝った。
風が気持ちのよい夜だった。
窓を開け放して飲む「発泡にごり酒」が旨かった。
BGMは水谷家の現在ヒットチャートNo.1で、
巷でも大ブームになっている“Def Tech”。
その後はコーディネーターの丸山さんが持って来た
“Jack Johnson”・・・どちらもハートフルで気持ちの良い音楽だ。
11時を過ぎた頃“Mr Children”でサポートギターを弾いている
河口修二くんが「ap bank fes,at 嬬恋」のリハーサルを終えて
参加した頃には、水谷さんは「ご機嫌状態」に出来上がっていた。
ここで、誕生日の主賓「きみお君」の略歴・・・。
1947年6月17日生まれ。
1964年、17歳の時「ブルー・エース」というバンドでデビュー。
その後「アウトキャスト」「アダムス」で活動。
22歳の頃からスタジオ・ミュージシャンとして活躍を始める。
オレ達の出会いは彼が31歳でオレは25歳、
1978年の3rd Album「イルミネーション」の制作の時だ。
その時の彼はアレンジャー&ギタリストだった。
50歳の時に日本でいち早く「プロトゥールス」という
レコーディング・ソフトを取り寄せ学習し、
プロデューサー、ギタリスト、エンジニアとして、
オレの“Save Our Ship”を制作している。
去年「Fairlife」という制作チームつくり、
Album「Have a nice life」もリリースした。
( 詳しい情報は左のRoad&Skyをクリックして、
Shogo Harbor Sightの左下にあるFairlifeにあるよ。
J.S.Foundationも見てくれたら嬉しいな。)
「頚椎に問題があって、
ギターを弾くのが日毎に難しくなったきたんだよねぇ...。」
なんて寂しいことを言ってるなぁ・・・と心配していたら、
昨夜、「ほらほら見て見て・・・」と見せてくれたのは、
真新しい“Pedal Steel Guitar”。
「これだと首に負担が無いんだよね。」と嬉しそう。
「プロトュールス」にしても「ペダル・スチールギター」にしても
「クロマティック・ハーモニカ」にしても
習得し使いこなすのは半端なことではない。
それを50歳過ぎてから始めて、モノにするのだから凄い人だ。
作成者 浜田
continued from previous page
オレも1974年にプロとしてミュージシャンのキャリアをスタートさせ、
今年で31年目になるんだけど、
きみお君は何と41年目なんだよね。
そして今も音楽を愛し、新しいものにチャレンジしている。
頭が下がるし、励まされる。
体を大切して、これからもいい音楽を創って下さい、ペンギン君!
省吾
P.S.「最近観た劇場映画/DVD/VIDEO」
「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」
(1999年/ドイツ・アメリカ・フランス・キューバ)
ライ・クーダーとヴェンダースによって制作された
キューバ音楽のドキュメンタリー映画。
「永遠のモータウン」(2002年/アメリカ)
60〜70年代のモータウンサウンドを支えた
「ファンク・ブラザース」という音楽集団をドキュメントした映画。
作成者 浜田
2005年6月17日(金)
6月17日(金)
父が警察官で転勤が多く、小学生時代に3度転校した。
どの小学校の通信簿でも必ず書かれたのは、
「明るく活発な生徒です」・・・これと、
「落ち着きがなく、じっとしていられません」・・・これだった。
そう、ひとつの場所にじっとしていられない。
というわけで、小学校から高校まで
教室で机の前に座っているのが大の苦手。
頭の中でビートルズの歌を
アルバムの曲順どうりに歌って時間を過ごしてた。
大学生時代に友達にパチンコや麻雀に誘われるのだが、
これも10分で飽きるので断ってた。
何度か仕事でラス・ヴェガスにも行ったが、
ギャンブルというのは大体テーブルの前に
根気よく座ってやるものだから、これもダメ。
何の話かというと、
ジムのトレッドミルとかバイクも苦手で、
雨の季節になると外を走れる日が少なくなるんだよね。
今週はNBAのFinal、GolfのU.S.-Openと
メジャーな大会が二つ重なってるね。
スポーツ好きの人は寝不足の一週間だ。
そして、日米通算200勝達成、野茂投手おめでとう!
省吾
P.S.「最近観た劇場映画/DVD/VIDEO」
「ニューシネマパラダイス」(1989年/イタリア・フランス)
シチリアの小さな町の映画館パラダイス座。
少年時代にそこで働いていた映画監督の回想を綴った物語。
作成者 浜田
2005年6月16日(木)
6月16日(木)
今日の午後はスタジオで"Voice Training"をやった。
"On The Road 2001"が終わったのが'02年の1月。
この3年半の間、Fan Clubイベントもあったし、
「Fairlife」を含むと3度のレコーディングもあったけど、
ツアーの時のように声を潰す寸前まで声帯を酷使して
歌うということは無かった。
そろそろリハーサルに備えて声帯を鍛える時期が来た。
声帯というのは筋肉であるから、
使わなければ衰えるし、使えば強くなるんだよね。
そう、ウエイトトレーニングと同じようなものだ。
先日、遂にLIVEの選曲/構成を決めたので、
「Road &Sky」制作部の森安君と宮川君にお願いして、
ステージ構成どうりに楽曲を順番に並べて
録音したCDを作ってもらったんだ。
それを持ってスタジオに入り全曲を歌ってみた...うーん、
思ったよりも歌えたけど、
これがツアーとなるとショーが連日続くわけだから、
もっと頑強な声帯に鍛える上げる必要があると感じたね。
こんな風にして徐々に「ツアーに戻って行く」という
リアリティーを感じ始めている浜田です。
省吾
P.S.「最近観た劇場映画/DVD/VIDEO」
「イル・ポスティーノ」(1996年/イタリア)
1950年代、ナポリ沖の小さな島が舞台。
亡命してきたチリの国民的詩人と、
彼に手紙を配達する島の若者の交流を描いた物語。
作成者 浜田
2005年6月15日(水)
マイ スポーツ
マネージャー新川 2回目の登場です。
僕が定期的にやっているスポーツと言えばサッカーです。
以前は11人編成のサッカーの試合がほとんどでしたが
今はフットサルという5人編成のサッカーを週に
1回のペースで夜22:30に集合して楽しくやっています。
多分僕が最年長なのかなぁ・・・ちなみに41歳ですけど。
最近はサッカーが上手い若者が多くてそのペースでやられると
“もうついていけませーん”って感じでしたが
先日やった試合はシュートが気持ちいい位に決まって
“ちょー気持ちいい”ってセリフが言える位でした。(笑)
調子が良い時はそれなりに出来るんだなぁ・・・と改めて
自分の動きに自画自賛。
去年の秋だったかなぁ・・・?
11人制のサッカーをやったんですよ。
試合中パスを出す時だったり 僕に動きの指示を出す際に
「新川!縦に走れ! 新川!ゴール前!」
なんて年下の連中に言われて・・・
僕もそれなりの年齢だから思うように走れない時もあり
その時は一回り以上の年下に名前を呼び捨てされていた訳で
(まぁゲーム中だから仕方が無いけどね・・・)
でもなんだかムカつくなーってその時思いながらやって
いたんですよー。(笑)
・・・なんてたまたま浜田さんに話したら
「そうだね。それだったら今度からニックネーム
みたいなので呼んでもらったら“トミー”とか?
いいんじゃない。」
そうそう僕は“富之”って名前だから確かにそれもいいかな?
だけど今まで小・中・高とサッカーやっていたけど
その仲間から“トミー”って言われたことあったかなぁ・・・
家族や親戚の方々には何故かそのように呼ばれているけど(笑)
それだったら“トミー!”って呼び捨てされても何にも
思わないなー。今度そうしてもらおう!っと・・・あれっ!
だけどあれから11人編成のサッカー殆んどやって
ないじゃなーい。そんな話まったく皆にしてないよー。残念!
と気付く今日の僕でした。
全日本代表もニックネームで呼び合っているしね。
これを見たサッカー仲間の皆さん達よろしくね。(笑)
今日はフットサルの練習がある日だけど雨で中止だな・・・
残念だけど筋肉痛にならなくてすみそうです。
To My Friend・・・「先日の太腿筋肉痛治ったかな?
小さな大会と言ってたけど4位おめでとう!」(笑)
作成者 マネージャー新川